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毎度わかりやすい動画、ありがとうございます。
横田さんいつもコメントいただきましてありがとうございます!そのように言っていただきまして大変光栄です!ありがとうございます
改めてお念仏を唱えさせて頂く事の有り難みが分かりました。お父様の最期の言葉は大変心にくるものがありました。ありがとうございました。 南無阿弥陀仏
やす子さんいつもコメントいただきありがとうございます!そうですね、、本当に大事な考え方ですし最後にそのような言葉が出てくるお父様のお心を尊敬いたします
『はじめての浄土宗』に引き続き分かりやすい説明ありがとうございます法然上人行状絵図、すごく興味があります、是非見てみたいです☺️法然上人さんについてもっと詳しく勉強してみたいと思います📖
やんかわさんいつもコメントいただきありがとうございます!行状絵図、展示されている時にぜひご覧いただければ!当時の風景が詳細に書かれていましておススメです!
素晴らしい教えを有難うございます。
身内がなくなり、無宗教だったのですが救いを求めてネットを彷徨いたどり着いたのがhasunohaで、そこで救われた回答なさっていたお坊さんが浄土宗や浄土真宗だったので、先ず初心者でも分かる簡単なところから勉強しようと思いたどり着いた動画です。分かりやすくて、助かりました。本も読んでみようと思います。ありがとうございました。
平岡様お初にお目にかかります、神社仏閣オンラインのえいしょうです。この度は大変ありがたいコメントをいただきましてありがとうございます。少しでも本動画が助けになりましたなら幸いにございます。南無阿弥陀仏。
往生極樂.目的是要成佛度眾生,有些人對成佛之法不甚歡喜,看來他們的發願往生是虛假的,應該懺悔。 要護持了義正法所有佛子應擁護了義正法,令不斷絕。為我們的子孫,為全世界的子孫,也為了所有的眾生,不只是這個世界的眾生而已;還有鬼神界、畜生道、天道的眾生也將會往生到這裡,到人間來 ;為這些眾生,要護持了義正法。說自私切身一點,也為未來世的我們自己;如果我們往生再來時,這裡没有了義正法,那我們往生來做什麼?不如去極樂世界下品下生,都比重新生在這裡好;所以,為未來世的自己,也應這樣做。也為過去世的無量父母,亦應這樣做;我們既然發願自度度他乃至成佛,你未來世必定還有很多父母,所以應為未來世父母著想,要護持了義正法,令不斷絕。《佛說觀無量壽佛經 》上品上生者,若有眾生,願生彼國者,發三種心,即便往生。何等為三?一者、至誠心。二者、深心。三者、迴向發願心。具三心者,必生彼國。復有三種眾生,當得往生。何等為三?一者、慈心不殺,具諸戒行。二者、讀誦大乘方等經典。三者、修行六念,迴向發願,願生彼國。具此功德,一日乃至七日,即得往生。上品中生者,不必受持讀誦方等經典,善解義趣。於第一義,心不驚動,深信因果,不謗大乘,以此功德,迴向願求生極樂國。行此行者,命欲終時,阿彌陀佛與觀世音、大勢至、無量大眾眷屬圍繞。持紫金台,至行者前,讚言:法子!汝行大乘,解第一義,是故我今來迎接汝,與千化佛一時授手。法師,只學一些表相佛法,對第六識緣起性空;第八識如來藏分不清楚 ,講的都是方便法,隨著信眾越多,越不肯謙下尋求名師;而信眾無擇法眼,盲昧無知的擁戴;今生就想立祖,不用等到來世,這就是末法的悲哀!在家也可為勝義僧《大乘大集地藏十輪經》卷五:若諸有情帶在家相,不剃鬚髮,不服袈裟,雖不得受一切出家別解脫戒、一切羯磨布薩自恣悉皆遮遣,而有聖法得聖果故,勝義僧攝、是名勝義僧。「復次,善男子!有四種僧。何等為四?一者、勝義僧;二者、世俗僧;三者、啞羊僧;四者、無慚愧僧。」「云何名勝義僧?謂 佛世尊;若諸菩薩摩訶薩眾,其德尊高,於一切法自在者;若獨勝覺;若阿羅漢;若不還;若一來;若預流;如是七種補特伽羅,勝義僧攝。」……「云何名世俗僧?謂剃鬚髮被服袈裟,成就出家別解脫戒,是名世俗僧。」「云何名啞羊僧?謂不了之根本等罪犯與不犯,不知轉重,毁犯種種小隨小罪,不知發露懺悔所犯。惷愚魯鈍,於微小罪不見、不畏,不依聰明善士而住,不時時間往詣多聞聰明者所,親近承事。亦不數數恭敬請問,云何為善?作何為惡?如是一切補特伽羅啞羊僧攝、是名啞羊僧。」「云何名無慚愧僧?謂若有情為活命故,歸依我法而求出家。得出家已,於所受持別解脫戒,一切毁犯,無慚、無愧,不見、不畏後世苦果。內懷腐敗,如穢蝸螺,貝音狗行,常好虛言曾無一實;慳貪、嫉妒、愚痴、憍慢,離三勝業,貪著利養恭敬名譽;耽湎六塵,好樂婬泆,愛欲色、聲、香、味、觸、境;如是一切補特伽羅無慚愧僧攝,毁謗正法,是名無慚愧僧。」《大乘起信論》復次真如者。依言說分別有二種義。一者如實空。以能究竟顯實故。二者如實不空。以有自體。具足無漏性功德故。「如實不空」 文中說「有自體」,意思是:若沒有妄則沒有自體,說「自體不空」,是在表示「如實空」並不是「斷滅空」。《佛說當來變經》佛告諸比丘,復有三事,令法毀滅;何謂為三:一既不護禁戒、不能攝心、不修智慧。二自讀文字,不識句逗,以上著下,以下著上,頭尾顛倒不能解了,義之所歸,自以為是。三明者呵之,不從其教,反懷瞋恨,謂相忌妒;識義者少:多不別理:咸云為是!是為三事,令法毀滅。(出家學佛,不能精進修學了義正法,反習雜句~淺末小經;聞甚深法,不以為喜,諸天流淚,口發斯言,大法欲滅,故使其然、速逝而去。)《大乘起信論》分辨魔事 或現天像菩薩像。亦作如來像。相好具足。若說陀羅尼。若說布施持戒忍辱精進禪定智慧。或說平等空無相無願。無怨無親。無因無果。畢竟空寂。是真涅槃。或令人知宿命過去之事。亦知未來之事。得他心智。辯才無礙。能令眾生貪著世間名利之事。這是說魔事會破壞定心,在這裡只是稍微指示它的相狀,使人知道應該如何去對治。《楞嚴經》中把魔事講得很清楚,在禪定當中,因為五陰未破而顯現的魔事,共有五十種,深淺不一。有說:或被天魔,諸惡鬼神,精魅魍魎,全部都來擾亂你;或是你的陰魔心魔,自作其孽,都一一詳示,這裡只是略說大概而已。文中說「諸魔外道鬼神」指的是在因地中也修禪定,卻因為惡習邪見而墮落在這一類的人,受到禪定氣分的熏發,因此現行而作惱亂。說「當觀唯心,境界則滅」的意思:雖然外魔能夠撓亂定心,但這也是由於自己有這樣的惡習,現在因修定而熏發現前,由於自己的心識,寄託在它的外形,所以變影來惱害,因此說是唯心,其實並沒有外來的境界,若是能觀唯心,這些就自然消滅了。這是習氣魔。這種魔是因為修行的人過去多生有親近修習佛法 ,執持佛法相沒有忘失,或是修習空見就認為已是究竟了,貪求宿命的知見,所以現在因定而薰發,在三昧中,就顯現這類的事。由於原本修行的因就不正確,所以使他貪著世間名利之事,這正是唯心所變現。這是煩惱魔。這種魔是由於過去曾經修習外道三昧,並沒有斷煩惱,現在雖然依佛法而修行,但因為還未進入正定聚,所以熏發過去的舊習,才顯現這樣的事。佛說末法時期邪師說法如恆河沙 佛於《佛藏經》卷二已經說過:舍利弗!如是因緣如來悉知,我諸弟子以種種門,種種因緣,種種諸見,壞我正法 。《大般涅槃經》卷七也說過:佛告迦葉:「我般涅槃七百歲後,是魔波旬漸當壞亂我之正法。譬如獵師,身服法衣;魔王波旬亦復如是,作比丘像、比丘尼像、優婆塞像、優婆夷像,亦復化作須陀洹身,乃至化作阿羅漢身及佛色身;魔王以此有漏之形作無漏身,壞我正法。」 兩千多年前,佛世尊的預言,千餘年來已在娑婆世界應驗了 ,這就是末法時代正法將滅的象徵。因此,法師入滅後,當時人間已經沒有宗門正法的證悟者住世了,所幸後來有大師再將宗門正法命脈延續下來,乃至擎正法之大纛、建大法幢接引福德因緣具足之學人,得入宗門正道。
人生かけて人のためを思う、すごいですね
ふくチャンネルさん本当にそう思います、、強い意思がないと実現できないことですね
法然上人伝でかねてより20代か30代に3年ほど高野山に3年参籠され、東密の勉強されたというのを最近知りました.高野山に上人の廟所がありまして、上人が高野山に登られたことは聞いてますが、確たる典拠がありません。しかし、最近論文を発見しまして、点点が線で繋がって結論へとなつたのですが、ところが知恩院のお坊さんに聞いても知らないという始末です。3年という期間といえども上人の宗教思想上どういう関係があるか極めて重要であり法然伝に欠くことはできません。のちにお話をされた「嵯峨」で上人が高野山に登って「弘法大師」と夢で会釈されたというエピソードがあります。会釈とは一つの教理教義に対して照合し、立ち返って融合し、説明することて教相判釈とは違います。嵯峨とは二尊院のことであり、「四八巻伝」巻四三に記されています。上人四国流罪の際、善通寺にも参籠されております。上人は「弘法大師」を慕っておられました。これは上人伝の表にでてきませんが、上人伝を語る際、切って離すことのできないエピソードであり、空海を研究する者にとつて衝撃的でしたと同時に長年のモヤモヤが解けました。さる浄土宗のお寺では毎年高野山奥之院の上人の御廟と熊谷寺へ檀家さんを連れて参拝されてます。おそらくこういうところに御廟があるのを殆ど知らない人が多いと思います。長文になりましたが、なにかの参考になりますことを。
以前もどこかで法然上人については聞いたことがあると思うんですが、浄土宗の始祖の思いを今一度ちゃんと聞くことができて良かったです!動画、分かりやすいので助かります(^^)
いきものがかりさんいつもコメントありがとうございます!過去動画で少し小出しにお話しをしてましたね^ ^そうおっしゃっていただけるとありがたいです!
うちが浄土宗(の檀家?)なのですが、私自身は微妙な感じですですが、そんな事で浄土宗に親しみ(親近感?)が浅い知識しか有りませんが浄土宗の教え?が好きです人々は修行で悟れる訳でもなく、極楽に行ける訳でもないと全ては阿弥陀様の力に頼り極楽浄土に導いて頂くという修行でどうにかなるという思い上がり?を否定して悪い表現かもですが、諦めというか限界を知るというのがしっくりする感じです修行しないと悟りを開けなかったり極楽に行けないならお坊さんしか救われないんじゃって浄土宗でもお坊さんは修行とか学ぶ事は沢山有ると思いますけど、一般人には有り難いと
@@川野俊和 あなたがそうおっしゃるのも、ごもつともであります。同感です。一旦「極楽」とか「悟り」という堅苦しいことを切り離されたらいかがでしようか。弘法大師の「仏法遥かにあらず。心中即ち近し。真如いずくんぞ求めん。」仏法といい地獄極楽はすでに我々のこころの中に存在します.阿弥陀さまも鬼もそうです。こころの持ち方によって仏にも夜叉にも変化します。要はこころを安寧に保ち。神仏に手を合わせ、感謝の気持ちを保つことです。一度四国遍路をなさってはいかがですか。お勧めします。こころをニュートラルする機会です。
訂正:来迎の読み方 浄土宗:ごらいこう
質問があります。鑑覚上人についていたときの「頭が良すぎる」っていうのは具体的に何が優れていたんでしょう?洞察力とかですかね?
ydさんコメントありがとうございます!おそらく、理解力ではないでしょうかと私は思っております。お経の言葉は漢文になりますが、その読むスピードが速く、これはもっとたくさんのことを学べる場にすぐに言った方がいいとなったのかもしれません。
浄土宗の場合、「来迎」は「らいごう」ではなく「らいこう」です。「らいごう」ですと真宗読みです。
ありがとうございます!勉強になりました
たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。親鸞聖人以外にここまで言われたお弟子がいただろうか?そして不思議というか、偶然なのか、法然様ご入滅の50年後に親鸞様もご入滅、あゝ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
日本天台宗比叡山延暦寺で修行された後に下山され、弟子の親鸞(後の聖人)と共に浄土信仰の基礎を築いた人物と記されているので、私にとってはその程度の認識で充分です。
毎度わかりやすい動画、
ありがとうございます。
横田さん
いつもコメントいただきまして
ありがとうございます!
そのように言っていただきまして
大変光栄です!
ありがとうございます
改めてお念仏を唱えさせて頂く事の有り難みが分かりました。
お父様の最期の言葉は大変心にくるものがありました。ありがとうございました。
南無阿弥陀仏
やす子さん
いつもコメントいただき
ありがとうございます!
そうですね、、
本当に大事な考え方ですし
最後にそのような言葉が出てくる
お父様のお心を尊敬いたします
『はじめての浄土宗』に引き続き分かりやすい説明ありがとうございます
法然上人行状絵図、すごく興味があります、是非見てみたいです☺️
法然上人さんについてもっと詳しく勉強してみたいと思います📖
やんかわさん
いつもコメントいただき
ありがとうございます!
行状絵図、展示されている時に
ぜひご覧いただければ!
当時の風景が詳細に
書かれていましておススメです!
素晴らしい教えを有難うございます。
身内がなくなり、無宗教だったのですが救いを求めてネットを彷徨いたどり着いたのがhasunohaで、そこで救われた回答なさっていたお坊さんが浄土宗や浄土真宗だったので、先ず初心者でも分かる簡単なところから勉強しようと思いたどり着いた動画です。
分かりやすくて、助かりました。
本も読んでみようと思います。
ありがとうございました。
平岡様
お初にお目にかかります、神社仏閣オンラインのえいしょうです。この度は大変ありがたいコメントをいただきましてありがとうございます。少しでも本動画が助けになりましたなら幸いにございます。
南無阿弥陀仏。
往生極樂.目的是要成佛度眾生,有些人對成佛之法不甚歡喜,看來他們的發願往生是虛假的,應該懺悔。
要護持了義正法
所有佛子應擁護了義正法,令不斷絕。為我們的子孫,為全世界的子孫,也為了所有的眾生,不只是這個世界的眾生而已;還有鬼神界、畜生道、天道的眾生也將會往生到這裡,到人間來 ;為這些眾生,要護持了義正法。說自私切身一點,也為未來世的我們自己;如果我們往生再來時,這裡没有了義正法,那我們往生來做什麼?不如去極樂世界下品下生,都比重新生在這裡好;所以,為未來世的自己,也應這樣做。也為過去世的無量父母,亦應這樣做;我們既然發願自度度他乃至成佛,你未來世必定還有很多父母,所以應為未來世父母著想,要護持了義正法,令不斷絕。
《佛說觀無量壽佛經 》
上品上生者,若有眾生,願生彼國者,發三種心,即便往生。何等為三?一者、至誠心。二者、深心。三者、迴向發願心。具三心者,必生彼國。復有三種眾生,當得往生。何等為三?一者、慈心不殺,具諸戒行。二者、讀誦大乘方等經典。三者、修行六念,迴向發願,願生彼國。具此功德,一日乃至七日,即得往生。
上品中生者,不必受持讀誦方等經典,善解義趣。於第一義,心不驚動,深信因果,不謗大乘,以此功德,迴向願求生極樂國。行此行者,命欲終時,阿彌陀佛與觀世音、大勢至、無量大眾眷屬圍繞。持紫金台,至行者前,讚言:法子!汝行大乘,解第一義,是故我今來迎接汝,與千化佛一時授手。
法師,只學一些表相佛法,對第六識緣起性空;第八識如來藏分不清楚 ,講的都是方便法,隨著信眾越多,越不肯謙下尋求名師;而信眾無擇法眼,盲昧無知的擁戴;今生就想立祖,不用等到來世,這就是末法的悲哀!
在家也可為勝義僧
《大乘大集地藏十輪經》卷五:
若諸有情帶在家相,不剃鬚髮,不服袈裟,雖不得受一切出家別解脫戒、一切羯磨布薩自恣悉皆遮遣,而有聖法得聖果故,勝義僧攝、是名勝義僧。
「復次,善男子!有四種僧。何等為四?
一者、勝義僧;二者、世俗僧;三者、啞羊僧;四者、無慚愧僧。」
「云何名勝義僧?謂 佛世尊;若諸菩薩摩訶薩眾,其德尊高,於一切法自在者;若獨勝覺;若阿羅漢;若不還;若一來;若預流;如是七種補特伽羅,勝義僧攝。」……
「云何名世俗僧?謂剃鬚髮被服袈裟,成就出家別解脫戒,是名世俗僧。」
「云何名啞羊僧?謂不了之根本等罪犯與不犯,不知轉重,毁犯種種小隨小罪,不知發露懺悔所犯。惷愚魯鈍,於微小罪不見、不畏,不依聰明善士而住,不時時間往詣多聞聰明者所,親近承事。亦不數數恭敬請問,云何為善?作何為惡?如是一切補特伽羅啞羊僧攝、是名啞羊僧。」
「云何名無慚愧僧?謂若有情為活命故,歸依我法而求出家。得出家已,於所受持別解脫戒,一切毁犯,無慚、無愧,不見、不畏後世苦果。內懷腐敗,如穢蝸螺,貝音狗行,常好虛言曾無一實;慳貪、嫉妒、愚痴、憍慢,離三勝業,貪著利養恭敬名譽;耽湎六塵,好樂婬泆,愛欲色、聲、香、味、觸、境;如是一切補特伽羅無慚愧僧攝,毁謗正法,是名無慚愧僧。」
《大乘起信論》
復次真如者。依言說分別有二種義。一者如實空。以能究竟顯實故。
二者如實不空。以有自體。具足無漏性功德故。
「如實不空」 文中說「有自體」,意思是:若沒有妄則沒有自體,說「自體不空」,是在表示「如實空」並不是「斷滅空」。
《佛說當來變經》
佛告諸比丘,復有三事,令法毀滅;何謂為三:
一既不護禁戒、不能攝心、不修智慧。
二自讀文字,不識句逗,以上著下,以下著上,頭尾顛倒不能解了,義之所歸,自以為是。
三明者呵之,不從其教,反懷瞋恨,謂相忌妒;識義者少:多不別理:咸云為是!是為三事,令法毀滅。
(出家學佛,不能精進修學了義正法,反習雜句~淺末小經;聞甚深法,不以為喜,諸天流淚,口發斯言,大法欲滅,故使其然、速逝而去。)
《大乘起信論》分辨魔事
或現天像菩薩像。亦作如來像。相好具足。若說陀羅尼。若說布施持戒忍辱精進禪定智慧。或說平等空無相無願。無怨無親。無因無果。畢竟空寂。是真涅槃。或令人知宿命過去之事。亦知未來之事。得他心智。辯才無礙。能令眾生貪著世間名利之事。
這是說魔事會破壞定心,在這裡只是稍微指示它的相狀,使人知道應該如何去對治。《楞嚴經》中把魔事講得很清楚,在禪定當中,因為五陰未破而顯現的魔事,共有五十種,深淺不一。有說:或被天魔,諸惡鬼神,精魅魍魎,全部都來擾亂你;或是你的陰魔心魔,自作其孽,都一一詳示,這裡只是略說大概而已。
文中說「諸魔外道鬼神」指的是在因地中也修禪定,卻因為惡習邪見而墮落在這一類的人,受到禪定氣分的熏發,因此現行而作惱亂。
說「當觀唯心,境界則滅」的意思:雖然外魔能夠撓亂定心,但這也是由於自己有這樣的惡習,現在因修定而熏發現前,由於自己的心識,寄託在它的外形,所以變影來惱害,因此說是唯心,其實並沒有外來的境界,若是能觀唯心,這些就自然消滅了。
這是習氣魔。這種魔是因為修行的人過去多生有親近修習佛法 ,執持佛法相沒有忘失,或是修習空見就認為已是究竟了,貪求宿命的知見,所以現在因定而薰發,在三昧中,就顯現這類的事。由於原本修行的因就不正確,所以使他貪著世間名利之事,這正是唯心所變現。
這是煩惱魔。這種魔是由於過去曾經修習外道三昧,並沒有斷煩惱,現在雖然依佛法而修行,但因為還未進入正定聚,所以熏發過去的舊習,才顯現這樣的事。
佛說末法時期邪師說法如恆河沙
佛於《佛藏經》卷二已經說過:
舍利弗!如是因緣如來悉知,我諸弟子以種種門,種種因緣,種種諸見,壞我正法 。
《大般涅槃經》卷七也說過:
佛告迦葉:「我般涅槃七百歲後,是魔波旬漸當壞亂我之正法。譬如獵師,身服法衣;魔王波旬亦復如是,作比丘像、比丘尼像、優婆塞像、優婆夷像,亦復化作須陀洹身,乃至化作阿羅漢身及佛色身;魔王以此有漏之形作無漏身,壞我正法。」
兩千多年前,佛世尊的預言,千餘年來已在娑婆世界應驗了 ,這就是末法時代正法將滅的象徵。因此,法師入滅後,當時人間已經沒有宗門正法的證悟者住世了,所幸後來有大師再將宗門正法命脈延續下來,乃至擎正法之大纛、建大法幢接引福德因緣具足之學人,得入宗門正道。
人生かけて人のためを思う、すごいですね
ふくチャンネルさん
本当にそう思います、、
強い意思がないと
実現できないことですね
法然上人伝でかねてより20代か30代に3年ほど高野山に3年参籠され、東密の勉強されたというのを最近知りました.高野山に上人の廟所がありまして、上人が高野山に登られたことは聞いてますが、確たる典拠がありません。しかし、最近論文を発見しまして、点点が線で繋がって結論へとなつたのですが、ところが知恩院のお坊さんに聞いても知らないという始末です。3年という期間といえども上人の宗教思想上どういう関係があるか極めて重要であり法然伝に欠くことはできません。のちにお話をされた「嵯峨」で上人が高野山に登って「弘法大師」と夢で会釈されたというエピソードがあります。会釈とは一つの教理教義に対して照合し、立ち返って融合し、説明することて教相判釈とは違います。嵯峨とは二尊院のことであり、「四八巻伝」巻四三に記されています。上人四国流罪の際、善通寺にも参籠されております。上人は「弘法大師」を慕っておられました。これは上人伝の表にでてきませんが、上人伝を語る際、切って離すことのできないエピソードであり、空海を研究する者にとつて衝撃的でしたと同時に長年のモヤモヤが解けました。さる浄土宗のお寺では毎年高野山奥之院の上人の御廟と熊谷寺へ檀家さんを連れて参拝されてます。おそらくこういうところに御廟があるのを殆ど知らない人が多いと思います。長文になりましたが、なにかの参考になりますことを。
以前もどこかで法然上人については聞いたことがあると思うんですが、浄土宗の始祖の思いを今一度ちゃんと聞くことができて良かったです!動画、分かりやすいので助かります(^^)
いきものがかりさん
いつもコメントありがとうございます!
過去動画で少し小出しにお話しをしてましたね^ ^
そうおっしゃっていただけるとありがたいです!
うちが浄土宗(の檀家?)なのですが、私自身は微妙な感じです
ですが、そんな事で浄土宗に親しみ(親近感?)が
浅い知識しか有りませんが浄土宗の教え?が好きです
人々は修行で悟れる訳でもなく、極楽に行ける訳でもないと
全ては阿弥陀様の力に頼り極楽浄土に導いて頂くという
修行でどうにかなるという思い上がり?を否定して悪い表現かもですが、諦めというか限界を知るというのがしっくりする感じです
修行しないと悟りを開けなかったり極楽に行けないならお坊さんしか救われないんじゃって
浄土宗でもお坊さんは修行とか学ぶ事は沢山有ると思いますけど、一般人には有り難いと
@@川野俊和 あなたがそうおっしゃるのも、ごもつともであります。同感です。一旦「極楽」とか「悟り」という堅苦しいことを切り離されたらいかがでしようか。弘法大師の「仏法遥かにあらず。心中即ち近し。真如いずくんぞ求めん。」仏法といい地獄極楽はすでに我々のこころの中に存在します.阿弥陀さまも鬼もそうです。こころの持ち方によって仏にも夜叉にも変化します。要はこころを安寧に保ち。神仏に手を合わせ、感謝の気持ちを保つことです。一度四国遍路をなさってはいかがですか。お勧めします。こころをニュートラルする機会です。
訂正:来迎の読み方 浄土宗:ごらいこう
質問があります。
鑑覚上人についていたときの「頭が良すぎる」っていうのは具体的に何が優れていたんでしょう?
洞察力とかですかね?
ydさん
コメントありがとうございます!おそらく、理解力ではないでしょうかと私は思っております。お経の言葉は漢文になりますが、その読むスピードが速く、これはもっとたくさんのことを学べる場にすぐに言った方がいいとなったのかもしれません。
浄土宗の場合、「来迎」は「らいごう」ではなく「らいこう」です。「らいごう」ですと真宗読みです。
ありがとうございます!勉強になりました
たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。親鸞聖人以外にここまで言われたお弟子がいただろうか?そして不思議というか、偶然なのか、法然様ご入滅の50年後に親鸞様もご入滅、あゝ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
日本天台宗比叡山延暦寺で修行された後に下山され、弟子の親鸞(後の聖人)と共に浄土信仰の基礎を築いた人物と記されているので、私にとってはその程度の認識で充分です。